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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

感情による支配

 人間は理性的に考えているつもりでも、本人が気づいていない感情に支配されているという場合があり、たいていの場合、一定のパターンを示します。その例をいくつか考えてみます。
 まず、プライドについて取り上げてみると、その格好の例が、福田前総理の辞任会見でしょう。この会見では、「あなたとは違うんです」というフレーズだけが一人歩きしてしまったように思いますので、その模様をユーチューブから拾ってみました。

http://jp.youtube.com/watch?v=QYKCd23tiHk 

質問者
「一般に、総理の会見がですね、国民にはちょっと人ごとのように聞こえるというような話がよくされておりました。今日の退陣会見を聞いても、率直に、そのような印象を持つのです。安倍総理に引き続く、こういう形でのやめ方になったことについてですね、自民党を中心とする現在の政権に与える影響というものをどんなふうにお考えでしょうか?」

福田総理
「現在の政権・・・? 自民党政権? 自民党公明党政権ですか?」

質問者
「はい。」

福田総理
「それはね、順調にいけばいいですよ。これに越したことはない。しかし、私の、この、先を見通す目の中には、その、決して順調ではない、可能性がある。そしてまた、その状況の中で、不測の事態に陥ってはいけない。ま、そういうことも考えました。まあ、人ごとのように、とあなたおっしゃったけどね。私は自分自身を客観的にみることはできるんです。あなたとは違うんです。まあ、そういうことも併せ考えていただきたいと思います。」


 この文脈からわかるのは、自分の辞任という決断が「人ごとのように聞こえる」というひと言で無責任であると断定されたという驚きです。それが福田前総理にとってどれだけ大きな衝撃だったかは、その後の言葉が質問(今後の政権にどういう影響を与えると思うか?)に対する答えになっておらず、むしろ、自分がなぜ辞めることにしたのか、という弁明に終始していることからもわかります。
 そのうえで、「私は自分自身を客観的にみることはできるんです。あなたとは違うんです。」という言葉が出てきたわけです。これは、自分を守ろうとする心の働きによる言葉です。つまり、非常に頭のいい人が、どうみても自分よりも劣っていると思っていた人から自分の判断を否定されたので、反射的に自分を守ろうとして自分のプライドにしがみついた、ということだろうと思います。ですから、「あなたとは違うんです」という人を見下す言葉が出てくるわけです。
 このように、他人を見下すことによって自分を守ろうとする心の働きを示す人は割と多いのですが、端から見ると見苦しいものとして映ります。
 ただし、「あなたとは違うんです」と発言したのが他の立場の人であれば、軽蔑こそされるでしょうが、ここまで取り上げられることはなかったと思います。ほかにも、漢字の読み間違いびよりからかわれた首相もいます。これが他の立場であれば見逃してもらえたであろう欠点が取りざたされるのですから、総理大臣というのはつくづく割に合わない仕事だといえます。それでもなりたがる人が後を絶たないというのは、自分だけは大丈夫という自信があるのでしょうか。

 次に、もう少し普遍的な感情である「猜疑心」について考えてみます。たとえば、恋人や配偶者が浮気をしているのではないか、という疑いを持ったという経験はたいていの方がお持ちではないでしょうか。
 そういうときに何をするかというと、パートナーが浮気をしているという証拠探しに走ることになります。
 すぐ思いつくのは、携帯のメールを盗み見るということですが、それくらいで済んでいるうちはまだかわいい方だといえます。ゴミ箱を漁る、持ち物に見慣れないものが増えていないかチェックする、パートナーの身体や身につけているものに浮気の痕跡が残っていないかチェックする、自分の知らないところでどういう行動をしているかを嗅ぎ回る、など「浮気の証拠探し」は次第にエスカレートしていき、決定的な証拠が見つかるまで止まることはありません。というのは、人間が猜疑心を持つと、心の片隅で、それが事実であればよいと欲するようになるからです。ですから、浮気をしている証拠を発見すると「やっぱり浮気をしていた」と思うのです。
 このことは、見方を変えると、「パートナーが浮気をしているのではないか」という猜疑心に駆られている人は、実は心の片隅で「パートナーが浮気をしていることを望んでいる」ということになります。
 いったんこのようになってしまうと、もはや正常な判断はできなくなってしまうので、その結末はお互いに不幸な結果をもたらします。
 このように書くと、そもそも浮気をする方が悪いに決まっている、といわれそうです。理屈では確かにその通りなのですが、浮気について扱っているサイトやブログがネット上に溢れていることからみても、浮気という行為がなくなることはないと断言してもいいと思います。悪いことだとわかっていてもやってしまうのが人間という生き物です。それは人間にとって修正不能な性質であり、根絶が不可能な以上、パートナーが発症した場合にどのように対処したらいいかを考えた方が(辛いけれども)いい結果につながると思います。パートナーの浮気の証拠を見つけるために、血眼になってゴミ箱を漁っているご自分の姿を想像してみてください。そんなふうにはなりたくないでしょう?

 怒り。
 怒りという感情は、モノが燃えるのに似ています。そこには燃える材料(出来事)があって温度が発火点に達する(きっかけ)が必要です。燃焼には、静かに燃える場合もあれば爆発的に燃える場合もあるように、人によって、他人に当たり散らす怒り方をする場合もあれば、逆に口をきかなくなるという怒り方をする場合もあります。また、一気に発散してケロッとしている人もあれば、いつまでも怒りがくすぶっているという人もいます。けれども、激しい怒り方がいつまでも持続するということはありません。
 怒りの対象が、その人にとって特別な人である場合、怒りは誘爆を起こす傾向があります。どういうことかというと、怒りの材料となるのは現在の出来事であるのが普通ですが、いったん燃え上がった怒りが誘爆を起こすために過去の出来事を思い出すことがあるのです。一般に、女性にこの傾向が強いようですが、男でも、自分の言葉に興奮して、怒りという感情がエスカレートしていくということがあります。やっかいなことに、怒りはいったん燃え上がると燃え尽きる(エネルギーを使い果たす)まで収まりません。
 このとき、理性が消防士の役目を果たすことがありますが、それが成功するかどうかは怒りの炎の大きさと消防士の力量によって決まります。場合によっては理性が屈服することもあるのですから侮ることはできません。

 以上述べてきたことは、人間にとってネガティブな感情です。いずれの感情もブラックホールのように強力な重力を持っており、いったん囚われるとなかなか抜け出すことはできません。その間に失うものが多いことを考えると、どうみても損だと思うのですが、当人にしてみれば、そのことにまで思いが及ぶことはまずありません。一度囚われると、視野が極端に狭くなってしまうという共通点がこれらの感情にはあります。
 そう思うと、人間とは自分の感情の奴隷なのだと思わないわけには行きません。
by T_am | 2009-01-05 07:18 | 心の働き

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