カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

 今回は第十三条と第十四条について考えてみたいと思います。

1.わかりにくい13条の変更
(日本国憲法)
第十三条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

(草案)
第十三条(人としての尊重)
  全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない

 ここで変更されているのは、「個人として」が「人として」になっていること、および「最大の尊重を必要とする」が「最大限に尊重されなければならない」に変わっていることです。
 これらの変更は、前回も申し上げたように、国民を上から見下ろすことによって人権を制限するという立場で書かれたものです。「個人」が「人」に変わるからといって、何が変わるんだと思われるかもしれませんが、それはこういうことです。
 「個人」というのは独立した人間のことですが、これを「人」と言い換えることによって、「家族の一員としての人」や「組織の一員としての人」というふうに扱い、これを憲法で規定することができるようになります。

 ポイントは、憲法を改正する内容によっては、それまで制定することができなかった法律が制定できるようになるということです。このことは、後に出てくる第二十四条(家族、婚姻等に関する基本原則)で明らかになっていきます。

 次に「最大」と「最大限」の違いですが、これは限度を設けるかどうかの違いになります。つまり、限度を設けた中でのぎりぎり目一杯が「最大限」ということになります。その場合、誰が限度を設けるかについては、法律を作る人たちであることはいうまでもありません。
 一方「最大」というのは限度がないのですから、理想を追求することも可能です。本来憲法は政治権力に対し制約を加える一方で、理想社会を実現するための道程標とでもいうべき役割を担っています。これは、今は実現されていないけれどもわたしたち国民の「不断の努力」によって実現するのだということを意味します。例を挙げるならば、貧困の解消や社会的弱者に対する偏見や差別の撤廃、女性の社会進出などがあります。
 けれども、「最大限に尊重」とすることによって、あらかじめ限度を設けてしまい、その範囲内で法律や政令・通達をつくることができるようになるわけです。たとえば、生活保護を受けている人が酒を飲んだりパチンコをした場合は生活保護の支給を打ち切るとか、エアコンのある建物に住んでいる人は生活保護の申請ができないようにする、といったことも可能になるわけです。

2.さりげない変更が怖い
(日本国憲法)
第十四条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
②華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
③栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

(草案)
第十四条(法の下の平等)
全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2華族その他の貴族の制度は、認めない。
3栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 第十四条では、第一項に「障害の有無」という文言が追加されています。素直に読めば障害者を差別してはいけないということになるみたいですから、歓迎すべき変更なのかもしれませんが、はたしてそうでしょうか?
 この文言を追加することによって、障害を理由に国民の義務を免除もしくは軽減されるようなことはないのだ(それが法の下の平等なのだから)というふうにすることもできるということは覚えておいた方がいいと思います。

 もう一つの変更は、「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。」という文章を削除しているということです。これは、叙勲者には特権を与えることが可能になるということを意味します。そうなると、政府を支持することを条件に叙勲するということも行われるようになるわけですから、いったい誰のための国なのだということになってしまいます。まさに、時代と世界の趨勢に逆行する憲法草案であるといえるでしょう。
# by t_am | 2016-09-04 23:18 | その他
 天皇が自分の考えをメッセージとして公表したことに対し、天皇の退位を認めるべきだと考える人が大部分を占めていることが世論調査によって明らかになりました。もっとも中には、天皇の退位を憲法改正と結びつけて世論調査を行っているメディアもあって、忠義面をした輩が実は天皇を利用することしか考えていないということも改めてはっきりしたことだと思います。

 余談になりますが、「生前退位」という屋上屋を重ねる言葉が用いられるようになったのは、2013年2月にローマ法王ベネディクト16世が退位を表明したときに遡るようです。退位と崩御は違うのだから、わざわざ「生前」などという言葉をつけなくてもよさそうなものですが、一度定着した言葉というのは強いですね。今では猫も杓子も「生前退位」という言葉を使っています。

 さて、天皇皇后を筆頭に現在の皇室がこれだけ国民から敬愛されているのは、天皇自身が述べていたように「公務に全身全霊をかけて取り組んで」きたからに他なりません。摂政だった頃から数えるとおよそ三十年間、公人としてこれだけ誠実に己の職務に取り組んで来た人は他にいません。
 今上天皇と皇后の偉いところは、この三十年間絶えず己の人格を磨き続けて来たという点にあります。凡人があの地位にいれば、三十年の間に驕慢に陥っても不思議ではないのですが、そのような堕落とは一切無縁に過ごしてきたわけですから、その精神力の強さはなかなか真似のできるものではありません。

 その辺の嘘つき政治家とは人間の器が違うといってよいのですが、そのような輩に利用されかねないというのが天皇制が抱えている弱点です。その弊害をもっとも薄める工夫が今の象徴天皇制であるといえます。

 天皇は象徴であるがゆえに天皇なので、象徴であることに伴う職務(国事行為)ができなくなったときにどうするのかを考えてほしいというのが、今回天皇が発したメッセージです。ごく普通に考えれば、退位を可能にするよう皇室典範を改正すれば済むことであり、多くの国民がこれに同意するであろうことは明かです。

 一方政府の動きはどうかというと、どうやら今上天皇一代限りの特別立法でお茶を濁す可能性が出てきたようです。なぜかというと、皇室典範を改正するよりも特別立法の方が手間も時間もかからないからです。

 悠仁(ひさひと)親王が生まれる前は、皇位継承者が皇太子と秋篠宮しかいなかったために、このままでは皇室の血統が絶えてしまうということが懸念されていました。そのため愛子内親王の即位を念頭においた女性天皇の可能性の検討がなされたものの、悠仁親王が生まれた途端にこの議論は終息してしまいました。難易度が高く手間がかかる問題だけに、先送りにされたわけです。

 今回の特別立法で対応できないかというのも、面倒なことは先送りしたいという気持ちによるものでしょう。その一方で、はるかに難易度の高い憲法改正に取り組もうとしているのは、要するにやる気がないとみなしてよいと思います。安倍総理が改正論議のベースにしたいと考えている自民党の改正憲法草案では、天皇を元首にすることになっています。その割には天皇の意向を蔑ろにしていると思います。これを機会に、将来再燃するかもしれない皇位継承問題にも手を打っておくというのがあるべき姿だと思うのですが、政府首脳にはそういうつもりはないようです。
# by t_am | 2016-08-16 19:42 | その他
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