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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

 天皇が自分の考えをメッセージとして公表したことに対し、天皇の退位を認めるべきだと考える人が大部分を占めていることが世論調査によって明らかになりました。もっとも中には、天皇の退位を憲法改正と結びつけて世論調査を行っているメディアもあって、忠義面をした輩が実は天皇を利用することしか考えていないということも改めてはっきりしたことだと思います。

 余談になりますが、「生前退位」という屋上屋を重ねる言葉が用いられるようになったのは、2013年2月にローマ法王ベネディクト16世が退位を表明したときに遡るようです。退位と崩御は違うのだから、わざわざ「生前」などという言葉をつけなくてもよさそうなものですが、一度定着した言葉というのは強いですね。今では猫も杓子も「生前退位」という言葉を使っています。

 さて、天皇皇后を筆頭に現在の皇室がこれだけ国民から敬愛されているのは、天皇自身が述べていたように「公務に全身全霊をかけて取り組んで」きたからに他なりません。摂政だった頃から数えるとおよそ三十年間、公人としてこれだけ誠実に己の職務に取り組んで来た人は他にいません。
 今上天皇と皇后の偉いところは、この三十年間絶えず己の人格を磨き続けて来たという点にあります。凡人があの地位にいれば、三十年の間に驕慢に陥っても不思議ではないのですが、そのような堕落とは一切無縁に過ごしてきたわけですから、その精神力の強さはなかなか真似のできるものではありません。

 その辺の嘘つき政治家とは人間の器が違うといってよいのですが、そのような輩に利用されかねないというのが天皇制が抱えている弱点です。その弊害をもっとも薄める工夫が今の象徴天皇制であるといえます。

 天皇は象徴であるがゆえに天皇なので、象徴であることに伴う職務(国事行為)ができなくなったときにどうするのかを考えてほしいというのが、今回天皇が発したメッセージです。ごく普通に考えれば、退位を可能にするよう皇室典範を改正すれば済むことであり、多くの国民がこれに同意するであろうことは明かです。

 一方政府の動きはどうかというと、どうやら今上天皇一代限りの特別立法でお茶を濁す可能性が出てきたようです。なぜかというと、皇室典範を改正するよりも特別立法の方が手間も時間もかからないからです。

 悠仁(ひさひと)親王が生まれる前は、皇位継承者が皇太子と秋篠宮しかいなかったために、このままでは皇室の血統が絶えてしまうということが懸念されていました。そのため愛子内親王の即位を念頭においた女性天皇の可能性の検討がなされたものの、悠仁親王が生まれた途端にこの議論は終息してしまいました。難易度が高く手間がかかる問題だけに、先送りにされたわけです。

 今回の特別立法で対応できないかというのも、面倒なことは先送りしたいという気持ちによるものでしょう。その一方で、はるかに難易度の高い憲法改正に取り組もうとしているのは、要するにやる気がないとみなしてよいと思います。安倍総理が改正論議のベースにしたいと考えている自民党の改正憲法草案では、天皇を元首にすることになっています。その割には天皇の意向を蔑ろにしていると思います。これを機会に、将来再燃するかもしれない皇位継承問題にも手を打っておくというのがあるべき姿だと思うのですが、政府首脳にはそういうつもりはないようです。
# by t_am | 2016-08-16 19:42 | その他
 8月15日日本武道館で行われた戦没者追悼式での安倍総理の式辞に次の言葉があったのが気になりました。

 あの、苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられたみ霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異境に亡くなられたみ霊、皆さまの尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを、片時も忘れません。

 この前の戦争で命を落とした人たちの犠牲の上に今の日本の繁栄があるのだといういい方が戦死者の遺族にとって慰めになっているであろうことは私にもわかります。だが、それでいいのか?という思いが拭えないのです。

 犠牲という言葉には二種類の意味があって、ひとつ目は戦争の犠牲者という意味です。これは空襲で命を奪われた人たち、外地から日本に引き揚げる途中で命を失った人たちを意味します。二番目は、目的を達成するために身をなげうって尽くすという意味であり、戦死した軍人や軍属が該当します。「貴い犠牲の上に平和と繁栄がある」といういい方は、二番目の意味(すなわち戦死した軍人や軍属)を意識していると思ってよいでしょう。(神戸に行って、「今日の神戸の反映は阪神大震災で亡くなった方々の犠牲の上にあるのです」といい方をする人はいないでしょう。)
 では、彼らが出征し、あるいは従軍したのは何のためだったかといえば、家族を護り日本を護るためだったというのが広くいわれていることです。(実際には、喜んで行った人もいれば、嫌々行った人もいるはずであり、人によって異なるはずです。)
 それでは、家族や日本を護るという目的が達成されたのかといえば、答えは否です。空襲や原爆、沖縄戦で亡くなった民間人は八十万人に及ぶとされています。これだけ多くの犠牲者を出したうえに、ポツダム宣言を受諾することによって日本は主権を失い、進駐軍が統治することになったからです。(沖縄と小笠原がいったん日本から切り離されたことも忘れてはなりません。)

 ゆえに、あの戦争で戦死した軍人や軍属を「犠牲」として位置づけるのは誤りです。
 
 「貴い犠牲の上に」といういい方は遺族を慰めるものですが、同時にあの戦争の責任についてすべてをうやむやにする言葉でもあります。
 はっきり言うと、戦争で亡くなった民間人も含め、戦死者の中にも「死ななくてもよかった」人は相当数いるのではないかと思います。実際、戦死した理由として餓死や傷病が含まれているのですから、当時の日本軍が組織として機能せず、指導者が無能無策無責任であったことの証左であるといってよいでしょう。

 近隣諸国からの脅威に対し、抑止力を高めるために日本には軍隊が必要だという主張をする人が増えているようです。そのように考えるのであれば、先の戦争において「なぜあれだけ大勢の人が死ななければならなかったのか?」という検証を先にすべきだと私は思います。それもせずに軍備を拡張し、憲法を改正すると、また大勢の「死ななくてもよかった人たち」を生み出すことになると思うからです。
 そういう姿勢が現政権には微塵も見られないので、私は安保法制はもちろん憲法改正にも反対するのです。戦争はアニメや映画とは違うのですから。


 参考までに、同じ戦没者追悼式で天皇はどのように述べたかを引用しておきます。

 終戦以来71年、国民のたゆみない努力により、今日のわが国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

# by t_am | 2016-08-16 09:10 | その他
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